作者:たつき諒
出版社:飛鳥新書
ページ数:215
漫画家情報
生年月日:1954年12月2日生まれ。
活動期間:1975年デビュー、1999(98)年引退。
その間に読み切り作品を中心とした99本の漫画作品を描く。
主な活動拠点(出版社):秋田書店
主な単行本作品: 時の中の少女、水色の航空書簡、タージ・マハル廟のある町
ページ構成は10〜48までが予知夢編、49〜91までが夢日記編、92〜213までがミステリー漫画(フィクション作品)となっており実質的なタイトル(作品名:私が見た未来)に沿った内容の項目は実質40ページ以下。
冒頭の1ページ1コマ目、1976年11月に見た夢にてフレディ・マーキュリーが死んで(ニュースが流れた)友人が泣きじゃくるとコマがあるのだが、フレディ・マーキュリーが死ぬのは1991年11月でありこの夢から15年後である。この時の作者は21歳でその15年後は36歳だから(友達含め)まあまあいい歳と言って過言ではない。
そこの描写については冒頭部分だけでとりあえず終わるが、23ページからの「私が見た未来」ではなんと8ページにも渡りフレディ・マーキュリーの死が現実になったという描写が長きに渡って綴られている。「夢のメッセージ」の2ページと合わせるとフレディ・マーキュリーの死についての項目だけで10ページも記載しているのだ(笑)
伏線回収(津波が15年後)のためフレディ死亡の予知夢を描いていると考慮しても、いくらなんでもページを割きすぎだと思う。
「私が見た未来」編での最終的なメッセージはその15年というサイクルで予知夢が現実になるというのを暗示している描写が最大キーポイントとなる。
作者自身は自分と関わりがある友人、知人関連で予知夢を見ることが多いが、自分とは関わりがないニュースや新聞記事関連での予知夢を見ることも多々ある描写が綴られている。
それらに関しては当然すべてが15年単位という訳でもなく数ヶ月後(数日後)に結果が分かる予知夢も多々あるとのこと。
そして最大にして最高の伏線回収がこの「私が見た未来」編の最後に描かれている。
1981年に津波の夢を見たとの描写がある。
で丁度その時は96年であり作者の予想では96年に津波が来ると漫画の中での夢日記では記されている。
フレディと同じく、夢を見た15年後であったが、結果的に96年は大きな災害もなく予言は外れることになる。
※厳密に言うと96年2月にインドネシア東部で津波が発生しており、日本でも船の転覆や流失などがあったそうだが、死者などの大きな被害はなかった。
漫画の中での予言は外れるが、この夢はさらにその15年後(2011年)に起きる東日本大地震を予言していたのではないかとも取れる。
49ページから始まる「夢日記」解説の項目でも
ダイアナ妃の死が92年→97年だったり、夢に出てきた天上の人から「5年たったら迎えに来るわ」と言われたり、何かと5年単位(周期)が多いのが特徴。
※「夢日記」解説では「私が見た未来」の津波と2011年3月(東日本大地震)の因果関係は否定しており、ネームも公開されているが雑な絵と字、そして結局意味の分からない描写(古着屋に入る。インド人、アメリカ人、フランス人が船に乗っているなど)が多く、何を暗示しているのか全く分からない。
ただ単に「津波」という点が深読みしたくなるが、元を正せば全て外している「なんでもない夢」というのが分かる。当然前述した通り、「96年」の日本に「津波」による甚大な災害は来なかった。
で表紙にもある「大災害は2011年3月」の記載に関しては「夢日記」解説の中で「私が見た未来」の出版の際、単行本の締切日である当日に夢を見て急遽、年月だけを付け加えたそうです。
もうひとつの帯にも記されている2025年7月の件であるが、その年その月の5日にフィリピン海プレート周辺がボコっと盛り上がりその影響で大津波が発生し周辺国(日本、台湾やフィリピンなど)へ甚大な影響をもたらすというもの。
しかし作者曰くその様な「大災難」が起きた後でも「ものすごく輝かしい未来が見えている」とのこと。
そう記しておきながら直後に「正直なところ、私にもあまり具体的なイメージは見えてません」とも語っている。
そしてまた活き活きと暮らしているイメージを感じる・・と語る作者。
その後心がどうのこうのと言った綺麗事で締めくくり「夢日記」解説編は終了する。
その後冒頭で述べた様に92〜213まではフィクション漫画が続くが本題とはほぼ関係ないので割愛させて頂く。
しかしそれもなんなので一部、漫画家としてのスキル(レベル)が分かる読み切りを以下紹介させて頂く。
「ちいさなカラの中」
という読み切り作品。
出雲真澄という高三の根暗な女が母の勧めで演劇部に入るところから物語は始まる。
演技部に入部した直後、イメージにピッタリということで、いきなり主役に抜擢されてしまう。
部活を初めてからは帰宅ラッシュにぶつかるのが嫌なので、翌日から少し帰る時間をずらすことを決意する。
(恐らく)数日が経過して、少し演技することにも慣れてきたある日。
部活が終わって時間を潰そうと思った矢先、衣装作りの手伝いを部員から持ちかけられる。
衣装作りを手伝い部活が終わったのが19時過ぎ。ガラガラの電車に乗り帰路に就く。電車に乗り未来の明るいビジョンを描く真澄。しかし、唐突に電車が大クラッシュし頭を激しく打ちつけ大量出血し座席に横倒れる真澄。
そこから死んだ描写(出られない、電車がホームを通り過ぎる、助けてなど)があり、言葉のみの回想のようなシーンが続く。
舞台は変わりホームで電車を待つ老婆と子供(祖母と孫)。
電車が来てもいないのに来たと反応する老婆だが孫から電車が来る時刻はまだ先と突っ込まれる。
さっきのゴォーという音はなんだったのかと、老婆はとある出来事を思い出す。
20年前に亡くなった私の娘だということを。
【終】
※確かにページ数が少ない読み切り(24P)とはいえこの伏線回収までに母親はたったの2コマしか登場せず、20年後の孫の姿が描かれているが(兄弟姉妹いたのかな?と確認をしてみたが)兄弟姉妹がいる描写がまったくない。たった1コマ、机に座って朝食を食べる兄や妹の四肢を描けばいいのにそれすらない。
だから読者は兄弟姉妹はいたけど根暗な設定だったんだと物語を自分で補完しなければならないのだ。
そして電車に入ってからの唐突な事故(脱線なのか踏切なのか、急停車なのか分からないが)も確かに人が座ってる描写があるので現実世界の事故というのが垣間見えるが(結果論単なる列車事故死)、別次元や異世界(きさらぎ駅のような)に入り込んだような雰囲気があるのも、読者を迷わせるのではないかと思う。
要はただ単に「電車の脱線事故で死亡した女子高生」の話。
逆に20年後に飛ぶというのが、また話を難解にさせていて、何故20年後で何故孫がいてまだ成仏してないのかという新たな疑問が生まれると同時に、それらを自身で補完しなければならない。
だったら異世界なのか現実世界なのか?電車の中で死んだか死んでないか?分からない描写のまま終われば、よりミステリアスさが伝わってよかったと思うのだが?
しかも真澄が死んだことを暗示している走馬灯のような描写も、終始後悔や嘆きのような薄っぺらい言葉が羅列してあるだけ。
兄弟がいたという最低限の伏線も撒かず、終盤にブッ込むのは、漫画家(構成やストーリーを考える作家)としていただけないと思った。
漫画を描き始めた人が出版社に持ち込んで普通にボツになるクオリティです。言わずもがなこの漫画家は画力の低さは勿論のこと、ストーリー構成や展開力などが酷い。
というか基本的に漫画家としては無名の部類に入る作家の読み切り作品を評価したところで糞の役にも立たないのは分かりきってはいます。
※年代は大友克洋と同い年(1954年)であり鳥山明(1955年)の一つ上という漫画家(革命期)ゴールデンジェネレーションである。
「夢日記」解説編でも本人も記載している通りストーリー作りが苦手とのこと。
確かに画力はまあ高くはないとしてもそこまで気にならない。
でもこの文字、活字だけの「夢日記」解説でも分かる通り文章の要点というか完結部分で結局何が言いたいのかが分からなかったりして、読者からしたら度々ポカーンとしてしまう節が度々ある。
【漫画家時代の話】の項目でも
〆切間近にアシスタントの全員で仕事を終わらす為、旅館に泊まるのだが、そこは幽霊が出るともいわれている曰く付きの旅館。
担当の編集長が痺れを切らして、扉を開けて隙間からこちらを見ていたと思ったら、編集長自身は旅館自体に来てなかったという話など。
その様な体験を何度かしているとの後に
「怖いけど、面白いでしょ?」と締め括る。
怖いか、面白いかはこちらで判断するので、それをあえて文末で述べる必要は皆無だろう。
そもそも怪談話において「どーです?今の話怖かったでしょ?」なんて言う怪談師はいないだろうし、芸人が締めに「もういいよ〜、今の話オモロかったでしょ?ありがとうございました〜」という人がいないように、自分の話を自分で評価した挙げ句、同意させるという文章力には、脱帽せざるを得ない。
あと「夢日記」解説編でのエピソードを最後に紹介する。
夢でサイババが出てきた為、1998年にサイババに会うためインド旅行へ出る作者。
サイババ信者の集まる所にいるとサイババから声をかけられたという作者(「I know」とのみ言われたらしいが、声ではなかった可能性も記している)。
そして風が吹いてきてショールがめくれたのは私が前世でサイババの娘だったからで、何故サイババの娘だったのかはサイババのインタビュールームで座ってる時に前世の記憶がぱっと見えたからと記載している。
※一部省略しております。
ここまで、言い方は悪いがほぼ作者の思い込みと妄想(自意識過剰)でしかないのである。
そんなのは自分自身でなんとでも言えるし解釈もできる。問題なのがその前世が1800年代にクウェートに転勤してきた新聞記者のイギリス人だとも述べている。
しかしサイババをWikipediaで調べて見るとハッキリと(サティヤ・サイ・ババ - Wikipedia)前世についてを公言(記載)しており、その前世も80歳まで生きている為、もし作者の言う前世がいるのだとしたら【前々世】でありしかも1838年までに生きて且つ同年までに死んだ人に限定しなくてはならなくなる。
イギリスのタイムズ紙が1785年創刊なので1800年代初頭に生きた新聞記者という「設定」はありえなくもない。
クウェートとイギリスの国交も18世紀後半から確認されているのでそちらも、ありえなくもない。
作者は広い意味で前前前世も前前世も「前世」としているのかもしれないがサイババが公言しているのを考慮すれば「前前世」と記すのが正しい書き方だと思う。
これについては否定も肯定も出来ない。
私が気になった点に関しては以上となります。
しかし総評として買う必要は全くありません。
というより値段(税込1200円)に見合っている漫画(単行本)ではない。
趣味が漫画でそれにしか金をかけない月収30万以上のサラリーマンなどであれば、話題性という付加価値のみで、痛くも痒くもないのかもしれないが、大抵の人は自分の好きな漫画でもない限り漫画はあまり買わないだろう。
しかしこの漫画は本題に関係ない読み切り作品を集めたオムニバス短編集である。
実質的なノンフィクション漫画部分は10〜48ページの部分でありその内10ページに及びフレディ・マーキュリー死亡の予知夢が現実になったという描写が長々と綴られているのだ。
そもそもフレディの死は急死でもなんでもなくご存知の通りエイズ感染による病死によるもの。
(恐らくア◯ルセックスにより感染したorz)
そしてその頃(1991年)のクイーンは既に全盛期を過ぎていたことやHIV感染していた点を考えれば(フレディの死は音楽業界にとって大きな損失ではあったが)時期としてはジョン・レノンのそれより意外でも衝撃でもなかったと思うが・・。
むしろジョン・レノンの死は予知出来なかったのかと・・・
そして阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、コロナウイルスによるパンデミックなど、予知夢として誰もが知ってるような有名な事件や事故、災害を漫画の中で描き記しておけば、より信憑性が持てたかもしれない。
でも作者自身が語っているように「予知夢は自分に関係する事件や事故が多い」とのことだった。
にしてもいくら友人が好きとはいえ、その頃全盛期でもなくHIV感染したフレディ・マーキュリーの死は自分に関係するほど重要な事件や事故なのか?
いや、そもそも事件でも事故でもない単なる訃報という名のニュースでしかない(笑)
彼女にとっても実際には見たこともない外国人の有名なミュージシャンでしかなかったと思う。
むしろ同時期(1992年4月)に亡くなった尾崎豊の件は予知出来なかったのかと・・
あのぉ・・たつき先生、貴方にとってはもしかしたら役に立つ情報なのかも知れませんが我々貴方の意外の「人間」にとっては糞の役にも立たない情報でしかないんですよ(笑)。
例えるなら、内輪ネタの話であり、実の母や父のモノマネしかしないピン芸人の漫才という感じなんです。
大災難は2025年の7月5日午前らしいですが、もしこの本にお金を払う価値があるとすれば、この不明確かつ確証のない上記の日付け(本人の予知夢)に900円くらいの価値があり中身の漫画はブックオフの100円の単行本以下です(笑)。実質帯のみです(笑)
むしろこれくらい中身が薄っぺらく支離滅裂でストーリー構成がなく画力もない漫画(家)が、「ナオキマンショー」などの検証系YouTuberやTVのステマ(stealth marketing)によりアマゾン1位とかになってしまうんだから今の日本は面白い!!
結局ナオキマンショーだけで既にネタはバレてたというオチであり、本家(私が見た未来完全版1200円)より動画(0円)の方が価値があるというステマ逆転現象が起きてしまった。
むしろ飛鳥新書による企業案件なのではと疑いたくなるくらい。本書の中身は薄ーーーぺらかった。
出版社の担当とのやりとりで(以下私の妄想)
担当者(以下:担)「先生、これではイマイチ話題性に富まないので何か最近見た夢とかで付け足せるものありますか?」
たつき諒(以下:諒)「(やばい最近見た夢ないぞ。そうだ、いずれ南海トラフ大地震が来るんだから、それっぽいことを帯コメントに付け加えよう。日付けは・・適当でいいやぁ。どうせ当たる訳ないし。)では2025年の7月に大津波が来ると帯に付け加えるのはどうでしょうか?」
担「いいですねぇ、あの東日本大地震を予知した漫画家が今度は2025年に南海トラフ大地震を予知!!
これは売れますよ、あとは99年に出版された単行本の内容をまんま載せて、先生の夢日記の補足を載せれば完璧じゃないですか?」
諒「(た、確かに私は絵を描く必要もないしそれっぽいことが起こるかもしれないという夢日記の一部を載せれば、こんな売れなかった私でも印税ガッポリかも・・)そ、そうですね夢日記の一部を載せて私自身その後起きたこととか体験談を載せる形にして「完全版」とするのもいいかもしれません!」
担「先生は夢日記のストックでこれから起きそうで現実味のある話とかありますか?なんならそれも帯コメントに付け加えられますし、話題にもなると思います」
諒「(ヤバい、ほとんどエッチな夢しか見ないのに・・日本や世界規模の未来の夢なんかほとんど見ないからなぁ。だってコロナも911もリーマンショックもアラブの春もイスラム国も福知山線脱線事故も予知出来なかった私だぞ?・・そうだ!あの話でいこう。確証はないけど・・)富士山・・なんか、どうですかね?」
担「富士山って、活火山の大噴火ってことですよね?いつですか?何月何日に見た夢ですか?」
諒「(ヤバい、そこまで大噴火していた夢でもないし、上空から噴火口を見ていただけだったから、日付けどころか噴火するのかすら分からない)
そ、それって実は噴火するのか私の夢日記では明確には分からないんです。だから夢日記解説編でそこら辺は書こうと思います。」
担「分かりました、そこら辺の構成は先生にお任せしますね。
日程なんですが発売日は10月頭を予定していて・・」
そんな感じのやりとりがあったとかないとか・・
で、たつき諒の「夢日記」解説編で載ってる絵はいくらネーム(下描き)に近いものとはいえ子供のお絵描きレベル。
しかも字が読めないくらい汚かったり霞んでたりする。これを人様に見せてお金を取るのはあまりにもナンセンス。せめて文字くらいは書き直してほしかった。
さて、散々愚痴りましたがこの漫画(家)のいいところを最後に述べたいと思います。
なし(笑)
以上。