以前このブログの初めの記事で述べた
を語りたい(書きたい)と思います。
時は2002年6月
日韓共催のワールドカップで日本はサッカー一色に染まっていた。
地上波で放送されるワールドカップの試合は日本戦以外でも軒並み高視聴率を記録していた。
ワールドカップの開幕戦で前大会の王者フランスがセネガルに敗れるという大波乱からスタートした2002大会だが波乱はそれだけではなかった。
韓国の躍進(ベスト4)やトルコの快進撃、アルゼンチンのグループリーグ敗退やセネガル旋風など様々なチームがいい意味でも悪い意味でも予想を裏切る試合を見せていたがその中でも一際以外だったチームは何を隠そう「アメリカ代表」であった。
アメリカ代表は初戦、フィーゴやルイコスタなどの黄金世代を揃えたポルトガルと対戦することになる。
当然、
試合前の予想ではアメリカの勝ち星を予測する人は皆無に等しく、むしろポルトガルの攻撃を何点で抑えられるかという点に注目が集まっていたと思う。
そんな大方の予想を覆すことになるのか試合開始から僅か4分のことであった。
コーナーキックでヘディングしたマクブライドのこぼれ球をオブライエンが押し込み先制。
30分には当時新鋭の若手で後のアメリカサッカー界のレジェンドになるドノバンの右からのクロスが相手DFに当たりオウンゴールで2点目を奪う。
さらに36分には右からのクロスをエースストライカーのマクブライドがダイビングヘッドで合わせ3点目。
前半36分でまさかの3-0というスコアになる。
これはある意味では大方が予測していた通りなのかもしれない。
その後ポルトガルはコーナーキックのこぼれ球から1点を返し、後半71分にアグースのオウンゴールで一点差に詰め寄るも万事休す。
アメリカがまさかまさかの大金星を挙げ、
ポルトガルはこの負けが響きグループリーグ敗退に追い込まれることになった。
確かに、
セネガルや韓国、トルコなど予想に反して大躍進した(下馬評を覆した)チームは何チームかいたしこの大会は波乱が多かった。
しかしその中でもアメリカ代表の大躍進は一際目を見張るものであった。
そもそも、セネガルの選手はリーグ1の選手が大半だったし、韓国は地の利があり、トルコもヨーロッパの名門クラブでプレーする選手が何人かいたのでよくよく考えたらそこまで番狂わせという程でもなかった。
しかしアメリカは当時、リーグ自体が発足して数年しか経っていない先行きも不透明で不安定なメジャーリーグサッカー(MLS)というリーグ。
当時はそこでプレイする選手が大半のアメリカ代表と、アメリカサッカーという未開拓かつ未知な可能性に興味が湧いたきっかけがポルトガル戦であり日韓ワールドカップであった。
2002 FIFA World Cup Korea & Japan™ - Match 16 - Group D - USA 3 x 2 Portugal - YouTube
※その大会でアメリカ代表はベスト8まで駒を進める。ベスト8で惜しくもドイツに敗れるも当時のあの戦力でドイツと互角に渡り合った(むしろ試合内容はアメリカが良かった)のはアメリカサッカーというものを世界に知らしめるきっかけになったと思う。
(当時のアメリカはサッカー不毛の地と揶揄されていた)