このブログの本題は
「好きか嫌いかより何が好きか(嫌いか)で自分を語れ」である。
なぜ私は今の今まで(2002年ワールドカップ〜)アメリカ合衆国男子代表が好きなのか?
それを簡潔に説明したいと思う。
以下目次
1.野球が嫌い
2.伸び代しかない
3.他民族国家
4.他スポーツや国との比較
5.アメリカ文化
6.今後
と、
本題に入る前に、以前書いた2002日韓ワールドカップのアメリカ代表の躍進がアメリカ代表に興味を持つきっかけと書いたが、それ以前にも伏線があったのでここで追記する
サッカーアメリカ代表との出会い【プロローグ編】 - オラワク倶楽部(ワクワクする日常を貴方に〜)
※1.野球が嫌い は次の記事にて
まず私は1998年のフランスワールドカップの日本対ジャマイカ戦で日本が負けたのをきっかけにサッカーに興味を持つようになった。
しかしその時私は既に小学5年生を迎えておりサッカーを始めるには遅すぎる年齢だった。
※通常サッカーは幼稚園〜小学校低学年で始める人が圧倒的に多く小学校高学年から始める人もいるにはいるが余程才能や運動神経がなければプロにはなれない厳しい世界である。
【データで見る】サッカーは何歳から始めるべきか。〜現役Jリーガーのデータに基づく考察〜
中学はサッカー部がなかったのでバレーボール部に入ったが長くは続かなかった。
バレーボール部のことについては書いてたら長くなってしまったのでまた別記事にしておきます(笑)
なぜ日本は強くもないバレーボールをやらせる土壌が多いのか? - オラワク倶楽部(ワクワクする日常を貴方に〜)
そんな前途多難な中学1年の時開催されたのがシドニーオリンピックであった。
オリンピックのサッカー競技は男子に限り今でも続くU23+オーバーエイジ枠という括りに当時私が嫌いだった楢崎正剛選手がいたことで私は「日本の対戦チーム」を常に応援していた。
GKは川口能活派だったのでポディションが1枠しかない楢崎正剛選手の存在は疎ましかった。
その日本が準々決勝で対戦した相手が何を隠そう
当時のサッカーU23(1977年以降生まれ)日本代表は中田、中村、稲本、高原、宮本、中澤、松田など所謂「黄金世代」と言われる才能が集中した世代であった。
稲本はプレミアリーグ初の日本人選手となり、中田はセリエAで優勝した初めての日本人(今現在も)となり、中村はチャンピオンズリーグで日本人初得点と決勝トーナメント進出の快挙を果たし、怪我で出れなかった小野伸二もオランダのフェイエノールトでUEFAカップを勝ち取るなどこの世代の日本人選手は本当に凄かった。
そんな日本代表と対戦して勝ったのが当時オリンピックでプチサプライズを起こしたオリンピック男子アメリカ代表である。
※シドニーオリンピックではベスト4
中田英寿がPKを外したあの印象的なシーンはあまりにも有名であるがそれ以前に「楢崎正剛選手がPK戦で一本も止められてないやん」とは思ってた(笑)それと同時に「アメリカありがとう!!」とも。
※グループリーグではエトーやジェレミ擁する当時黄金世代のカメルーンと、後のA代表の主力となるウイファルシやヤンクロフスキを擁するチェコに引き分けたりと下馬評を覆す戦いぶりが多少なりとも評価された。
当時のアメリカ代表で(後ほど)有名な(になる)選手はオーバーエイジで出場したGKのブラッド・フリーデル - Wikipediaと当時まだ18歳で後にレジェンド選手になるランドン・ドノバン、左サイドで長らく代表に貢献したダマーカス・ビーズリーぐらい。