※↑はルーマニア国家、前回の記事は
「日蓮系の宗教団体に勧誘された時の対処法」をご覧下さい。URLが貼れませんでした(泣)
※引き続きS君が見ている体で書かせて頂きます。
友達ではあるが、僕はまだS君の本質については理解していない。
S君は僕にどうして欲しいのか?
しかし、私は私なので誰かに言われて変わる気というのは全くない、変わること望むのなら◯◯のここが駄目で変わってほしいというのを直で伝えた方がいいと思う。
もしそれでも何かしらに付け込み入ることを強要するなら私も質問させてもらう。
そしてそれらの団体と何が違い何が優れているのかを明確に説明してほしい(差別化と優位性)。
それらを全てデータに基づいて説明してもらいたい。
例えば顕正会はこういう思想や経典が本質としてあるが創価は違う、幸福度数はこれくらいだから創価の方が優位性はあるなど・・
しかし、それはあくまでもこれは「私が入信したい」とかではなくて私が考える一般論という意味で。
根拠を指し示すものというのは何かしらの数が入ったデータであり、それが有ればより具体的な話ができるのはビジネスや経済の世界でも基本ですからね。
あと創価学会的な視点で話すとしたらもし入信したとして、私は明日から神社の鳥居は潜れなくなるのか?
そしてそれに付随する年間の恒例行事(初詣、クリスマス、バレンタインデー、節分などの元来宗教を発端とするイベント)や他宗派のお葬式などは行けなくなるのか?
そんなデメリットしかない中で他宗派に何故改心しなければならないのか?
もしそれが一切行ってはいけないというのなら初めに伝えるべきだし、逆に行っていいとなっても日蓮正宗系宗派の宗教の「独自色」というのはなくなるし、他宗派との差別化も出来なくなると思うがその点についてはどうなるのか?
【S君に言いたいこと】
特定の宗教に入らせるというのはその人自身の価値観や生き方、思考や利点などを考慮しなければならないセンシティブな問題であり、営業で自社の物を売りつけることではない。
様々な人間がいる中で個人にあった最適解の宗教がひとつだけということはありえない。
それは今日においてヒンドゥー、イスラム、キリスト、ユダヤ、仏教などの様々な宗教があり、そこからさらに宗派が別れてそれぞれに合った選択肢が多く存在するから。
※極端に言えば私はヒンドゥー教が1番性に合ってるという可能性も否定はできない。
つまり信教の自由があるこの国において、特定の宗教を勧めるのも如何なものかと思うが、百歩譲って宗教を勧めるのであればその人自身をより理解して、その人の人生に合った最適解というのをより多く持つのが必須条件だと私は考える。
言わば宗教コンシェルジュ、宗教ガイド、宗教プランナーなどと言ったところでしょう。
医者にしろマッサージ屋にしろ服屋にしろ飯屋にしろひとつの選択肢しか用意されてないような所はない訳であって、その選択肢の中で最適解を導くというのが社会の構図として成り立っている。
立場上ではバイヤーとカスタマーという関係性に近いがそれは例えればビジネス以外の人間関係でも重要なこと。
例えば夫婦関係においても同じことで、今日の晩御飯は何にするかという選択肢の中で、妻は夫の大好物、誕生日や記念日というのを考慮して考えうる最適な料理を作ってるという選択が常日頃行われている。
メシマズ嫁という言葉もあるが、それ以上に毎朝毎晩同じ料理(自分の大好物のみ)を作り続けるような選択のない家庭だとしたら夫婦関係はあまりいいものではなくなるだろう。
用意された最適解がひとつのみで他人にそれを提案するというのは価値観や自己顕示欲の押し付けでしかないということ。
ちなみに私は座禅を組んだこともあるし、経典の中では般若心経が1番好きだ。
私が考える宗教観ではとある宗教が断食をしたり、結婚するまで童貞を貫いたり、離婚が出来なかったり、肉が食べれなかったりというような己を律する戒律がちゃんと取り決められているのなら、一考の余地はあるのかもしれない。
要は何かを得る為にはそれなりの対価を払わなければいけない。
ということ。
でも、某日蓮大聖人様系の宗教は悪い意味でデメリットがなく、立証が出来ないメリット、利点をただ口にしているだけに私は思う。
多くの宗教、特にキリスト教などが人間の煩悩、淫らな欲求に対して戒律を設けているのに対して某日蓮信仰はどうだろうか?
好きな時に飯が食えて酒が飲めて女遊びが出来て金が使えて・・というのは人間の欲求のまま行動して制約を全くしてないということ。
制約がないにも関わらず、さらに何かしらの不満や欲求を満たしましょう、解消しましょうというのは仏教の開祖である釈迦が悟りを得た時の状況(原始仏教)から考慮してみれば、あまりにも理念から外れているという印象を受ける。
どこの宗教も同じような根本原理があるけど人は何かしらの苦行を経験して真価が発揮出来るのだと私は思っている。
そして創価学会の理念に勝利、栄光、平和の3つの目標があるが、少なくとも平和の理念は他人や他宗派、他人種、他国の考えを理解して尊重することにあると私は考えている。
だから創価学会(日蓮信仰)のように特定個人に自己の価値観を押し付ける伝統というのは私にとっては理解ができない。
他人の考えを尊重して認め合える世の中になれば少なくとも今よりより良い世界(平和)になっているんじゃないかと私は思う。
流石にこれだけ書いておけば、もう誘うようなことはしないでしょう。
あくまでも、この記事を彼が見たらの話だけど。
その時がやってくるのかは分からないが続きはまた書いていきたいと思う。
最後に改めて伝えておく。
私はあなたを友達として見ている。
でも、これだけ書いた中で分かったと思うが、私の考えを尊重して干渉しないのが友達であるのは理解してほしい。
だからもしこれ以上、創価の話をするのであれば私はあなたを「バカ」とみなして今後一切連絡は取らない。
過去にあなたに頼ったこともあった。
でもそれは過去のことであり今は違う。
私は今の状況が幸せだし、満足している。
客観的に見ればそれは良くないと思うのだろうが、あなたに借金をしている訳でもないから、どうやこうや言われる筋合いもない。
ただ、もし私があなた(S君)の立場だったら、会社の部下を片っ端から「折伏」しますけどね(笑)
だってS君みたいな他人を不幸だと思って見ている上司の下で働いていること自体が不幸だと思うから(笑)
※コンプライアンスで宗教勧誘の括りが無かったと仮定して。
勿論、いい意味でですよ!!
まあ実際こんなジョークを言ってしまったら某アカデミー賞の司会者のように「ぶっ飛ばされる」かもしれませんが(笑)
改めて断言します。
私を「折伏」するのは不可能です。
以上。
※ダラダラと長い文章を書いてしまい申し訳ございませんでした。