こんにちは!!
(更新が遅れてしまいました)
「オラワク倶楽部」の筆者、ことブログ主の「おにぎりせんべい」です。
(タイトルの通り)今回は皆さまご存知のあの件(訃報)についてかなり長文ではございますが、記述してまいります。
まず、このブログのタイトルとペンネームの通り、鳥山明先生の影響を多大に受けているブログでございます。※タイトルは孫悟空の名台詞の「オラ、ワクワクすっぞ」から、ペンネームの「おにぎりせんべい」はDR.スランプの則巻千兵衛(のりまきせんべえ)から。
最近は更新頻度が減ってきてしまったこともあり、記事自体UPできていませんが、初期はドラゴンボールや漫画に特化したブログにしていこうと思っていたほど、ドラゴンボールシリーズや漫画に熱を入れてました。
現在は生田絵梨花関連の芸能記事やサッカー記事をUPするぐらいでここ一年ほとんど更新していない状態が続いていました。
ブログの説明欄にもある通り私の好きなものは→ドラゴンボールとサッカーと料理とマ〇コ・・なんです(+生田絵梨花)。
そんな限定的な趣味しか持ち合わせていないものだから、そりゃネタは限られるよね・・、そんな自問自答をしてだらだらとブログを書いてる内に1年、2年、3年と時間が過ぎて現在に至り、私の人生で最も尊敬した人物でもあった鳥山明先生が急逝されてしまいました・・・
私のこれまでの人生に関しての紆余曲折な経歴は初期の記事に記載してありますので、興味のある方(多分いない)はそちらをご覧下さい。
さてここから本題に入ります。
このブログでは漫画やアニメ作品をドラゴンボール視点で捉え解説した「バトル漫画ドラゴンボール理論」というカテゴリーがありますが、今回はまたドラゴンボール、並びに鳥山明先生に関する記事になりますので追悼の意を含めつつ「復活」をさせていただこうかと思います。
訃報の報道を受けてから現在で丁度2週間、少し落ち着いてきたところで鳥山明先生の功績や作品自体の今後を記述していきます。
題して、「鳥山明イラストレーション論~鳥山明が後世の漫画家や作品に与えた影響~」
目次
・鳥山明が残した功績
・現在まで続くアニメや漫画作品の立体化、フィギュア化の一般化
・鳥山明が生まれていない、クリエイターになってなかった世界線
・故人漫画家、作品とその後の比較
・鳥山作品自体の今後
・まとめ
鳥山明先生の基礎的な情報に関しては下記Wikipediaをご参照下さい。
この記事では、鳥山先生が実際にお話ししたことや既成事実を元に解説をしていく既視感のあるつまらないことはあえて書きません!!
ここで書いていくのは「If not TORIYAMA」鳥山明先生が漫画家やデザイナーになっていなかった世界線を話していきます。
鳥山氏は1955年に愛知県名古屋市に生まれた。
同世代の漫画家には1954年の生まれ(69歳)の大友克洋氏(AKIRA、童夢など)、1957年生まれで66歳の高橋留美子氏(うる星やつら、めぞん一刻など)、1953年生まれで70歳の車田正美(リングにかけろ、聖闘士星矢など)がいる。
ジョジョの荒木飛呂彦(63)や北斗の拳の作画の原哲夫(62)、キャプテン翼の高橋陽一(63)、キン肉マンのゆでたまご(嶋田隆司、中井義則=共に63)などはヒット作品や代表作から見ても『同世代』とも言えるが、年齢的にはいづれの作家も5つほど違うため、デビュー当時の年齢的に言えば鳥山氏は「やっと花開いた遅咲きタイプの漫画家」とみなしていた人も少なからずいたのかもしれません。
そして、当時(1950〜60年前半生まれ)の漫画家は幼少期から高度経済成長期であったため、日本という国が経済的にも発展していく様子をリアルタイムで見て育っていくことができた。
そして、その経済発展の一部に漫画というサブカルチャーがあったわけだが、当時の漫画(70~80年頃)はどちらかといえば隙間産業でありニッチ市場であった。
手塚治虫が漫画やアニメーション産業に革命をもたらした訳であるが、当時の手塚タッチ、劇画タッチが主流の漫画、アニメ産業のままでは今の『世界に受け入れられる日本産アニメ』にはなり得なかったでしょう。
主に80年代に活躍した作家のあだち充や高橋留美子などの小学館(サンデー)作家もその時代から中長期的に活躍しましたが、より世界に受け入れられ日本の漫画がグローバル化される礎となったのも鳥山明(ドラゴンボール)の功績が大きいと私は思っています。
(正確な数字は調べても分からないが)現在までに約20~30万作品の漫画が生まれ、漫画の奥行や立体感を具現化した作品もDR.スランプ(鳥山明)の功績が大きかったと言われている。
※一説によると「初めて人物の奥歯を描いた漫画家」とも言われている。
【鳥山明先生】「素晴らしい作品をありがとう」解説まとめ【追悼/山田玲司/切り抜き】 - YouTube
ワンピース尾田氏やナルトの岸本氏、ブリーチの久保氏等、74年~80年代初期生まれまでの所謂「鳥山作品世代」の作家にとっては鳥山氏の作品を見て育って漫画家を目指してきた訳であるから、そのような作品群のキャラクター達が立体化、フィギュア化されるのは必然だったと言うことが出来る。
※北斗の拳にしろ、キン肉マンにしろ、聖闘士星矢にしろ立体化、フィギュア化(キン消し)自体はされているが、数は多くない。その理由は多々あるだろうしひとつづつ掘り下げるだけの市場調査が出来ているわけでもないが、その3つの漫画は60&70年代漫画のタッチ(劇画調)を色濃く残していた影響が強かったと思う。北斗の拳(劇画調)に関しては画力あったが、顔の陰影をつけたりする線が多すぎる為、アニメ版では漫画のような線を描ききれず印象が薄くなってしまう。キン肉マンは劇画どうのこうの以前に初期の画が下手すぎだし、聖闘士星矢の車田正美は見事なくらいに本宮ひろ志(男一匹ガキ大将)の影響を受けている。
端的にいうとどれも(ドラゴンボールより)フィギュア化するには向いていない漫画なのだと思う。
そこを鑑みれば、未だにゲーセンのUFOキャッチャーで見る頻度が高いドラゴンボールシリーズのすごさはお分かりいただけるかと思う。
※写真は近所の本屋の「一番くじ」の景品
ここまでは鳥山漫画誕生以降の漫画界の立体化に対する功績を述べてきました。
★もしも鳥山明が漫画家になっていなかったら・・・
つまるところ、もしも鳥山明先生が生まれてない、漫画家やイラスト等の「何かしらの絵描き」を生業にしていなかったならば、少年ジャンプを始めとする多くの漫画の主流はデフォルメタッチではなく、北斗の拳、荒木飛呂彦に代表される劇画調や小畑健や井上雄彦を代表とする写実的でリアル(現実的)な絵柄が少年漫画の主流になっていた可能性すらある。
それに加えて宮崎駿や荒木飛呂彦、浦沢直樹に代表されるバンドデシネ調も今よりかは主軸になっていたのではないかと思います。
80年代後期~90年代前半のジャンプにおいてもSLAMDUNK井上雄彦の一強時代になっていた可能性すらあります。
富樫義博氏(57)は尾田、岸本、久保氏などの鳥山チルドレン世代ではないが(DR.スランプ連載開始時14歳)、多少(~多大)なりとも鳥山氏から影響を受けたことを語っている為、もしかしたら今の路線にはなっていなかった可能性がある。
※特に幽遊白書の浦飯幽助のレイガン、暗黒武術会のトーナメント形式などは、DBの影響を多少ほど受けているかと思う。
★今後の展開、他の作家さんとの比較★
鳥山明先生は68歳でこの世を去ってしまいましたが、他の漫画家さんはどうだったのか・・・
ご逝去された年齢順に並べてみた。
臼井義人(51)
さくらももこ(53)
三浦健太郎(54)
石ノ森章太郎(60)
手塚治虫(60)
藤子・F・不二雄(62)
赤塚不二夫(72)
長谷川町子(72)
松本零士(85)
藤子不二雄A(88)
水木しげる(93)
やなせたかし(94)
なお、あしたのジョーのちばてつや(85)やデビルマンやマジンガーZの永井豪(78)も現役とはいかないまでも存命中であり、漫画グローバル時代(80年代~)になってからの著名な作家(漫画家)でご逝去された方を見つける方が難しいぐらい、(70代半ば~60代前半なので、当たり前ではあるが)存命中の方が多い。
そして、漫画の神様と呼ばれ、日本アニメや日本漫画の先駆者(パイオニア)とされる手塚治虫が生きていれば現在95歳になっており、漫画黎明期を含めて大半の作家は生後100年に満たない。
因みに、臼井義人は登山での事故死、さくらももこはヘビースモーカー(乳がん)、手塚治虫はスキルス性胃癌による病死・・と理由は様々なので、一部ネット上でまことしやかに囁かれている「週刊連載作家短命説」の信憑性は現状かなり薄いと言えるでしょう。
上記の著名な作家陣の中で現役かつ代表作が連載中だったのはベルセルクの三浦健太郎氏、クレヨンしんちゃんの臼井義人氏の2名であるが、前者は冨樫義博氏ほどではないが、巻数が上がっていくにつれ単行本発売頻度の間が空くようになっていった。臼井氏に関しては絵柄が単調で1話あたりに割くページ数(3~4P)が少なかったこともあってかなりの数をストックできていた為、死後半年近く連載が続いた。
また前者に関しては三浦氏の親友で漫画家の森恒二氏が生前に著者から聞いた話の内容を元に監修を行い、彼の絵柄を描ける弟子達が作画を担当しているため、今もなお漫画は続いている。
藤子・F・不二雄や臼井義人の作品(ドラえもん、クレしん)に関しては死後も子供を中心に大人気作品であり続けている。
ドラえもんに関しては藤子・F・不二雄氏(96年逝去)が亡くなった21世紀以降でヒットした作品の方が圧倒的に多い。
そもそもドラえもんにおいて頻繁に泣けるような話(映画)をF先生は描きたかったのだろうか・・・?
(ドラえもんに関しては良くも悪くも作品自体が独り歩きしている気がしなくもない・・個人的な意見です)
★鳥山作品の今後★
さて、現在までの鳥山作品はどうだったでしょう・・
自ら執筆した漫画に関しては2013年に短期集中連載した銀河パトロールジャコが最後になりますが、原案に携わった漫画やアニメ、ゲーム関連の作品に関しては現在に至るまで多岐に及んでいました。
ドラゴンクエストⅫのキャラクターデザイン、漫画ドラゴンボール超(以下:DB超)の原案、キャラデザ、ネーム段階での一部修正、新作アニメ「サンドランド」「ドラゴンボールDAIMA(以下:DBD)」のストーリー原案、キャラデザなど・・・
なお漫画版のDB超に関してはテレビアニメ版自体が先行して発表され、後ほど漫画版が開始されるというメディアミックス展開としては従来の漫画→アニメ化ではなくアニメ→漫画という形で2015年から開始されました。
そもそも現在の漫画大国になったと言われる日本において、漫画作品の数だけ漫画家も生まれている訳であるが、その大半の著名な作家は確認できる限りでは存命中であるのだから、これだけ世界で日本漫画の代表作として君臨(DBシリーズ)して、作家自体も後世の多くのクリエイターや漫画家に影響を与えたという人は現在に至るまで存在していなかったといっても過言ではない。
他の作家を鑑みると手塚治虫は病死する1989年時点での代表作、新たにメディア展開(アニメ化)する作品なども特になかった。
臼井義人氏や三浦健太郎氏に関しては前述の通りで、他の故人に関しても既にメディア展開(アニメ)が継続していただけという作家は大半を占める訳だが、新たに主要の別作品がここまでメディア展開予定(DQⅫ、DBD、サンドランド、DB超漫画)だったという作家は鳥山氏が初めてなんじゃないか・・・
冒頭で書いた通り80年代ジャンプの作家陣は軒並み存命中であり、他紙及び他社(サンデー、マガジン)の作家陣(あだち充、高橋留美子、森川ジョージ等)も健在であったので、今回の訃報は想像以上に影響が計り知れないものだったと思う。
《作品別》
★DBD、DB超などのDBシリーズの今後・・★
個人的な実体験を元に話すと私自身は2002年頃から夕方からフジテレビで毎週(曜日は忘れた)放送されていたドラゴンボールZの再放送が「最初のきっかけ」になったと思っている。その後もDBシリーズのゲームソフトが発売されると軒並み50万本前後を売り上げるようになり、現在のドッカンバトル(モバゲー)まで続く「DBゲーム」という分野が確立される要因ともなった(と、思っている)。
アニメの再放送、ゲームの発売、漫画完全版の発売(02年12月~)など複数のメディアミックス展開でリバイバルブームが起き、(完全に手中の範囲外だった09年の実写版は失敗するものの)、09年に新たに新旧声優陣がアフレコし映像をデジタルリマスターしただけのDB改を放送し好評を得て(14年終了)、15年~18年にかけてはDB事業が拡大、完全新作のDB超が展開される要因にもなった。
フジテレビを中心としたDB事業は97年に放送終了したDBGTで作品、キャラクターを描き切ってコンテンツとしては終了した・・はずだった(正真正銘の「オワコン」)。
しかし、当時ドクタースランプのリメイク版から引き継いで放送していたワンピースは視聴率の影響もあり水曜→日曜夜→日曜朝と放送時間を現在に至るまで2回も変えていることを鑑みれば、(ワンピと組むアニメ枠で)フジテレビのアニメ視聴率コンテンツの一角で大エースであったDB事業を再召喚したのは必然の流れだったのかもしれない。
(鳥山明先生のご逝去直後に後述する「ドラゴンボールDAIMA」がフジテレビで放送することが決定)
★ドラゴンボールDAIMA★
まず、DBDのストーリーに関してはほとんど情報が分かっていないので、現時点では何も言えない。
ただ、キャラクターデザインはDBGTでもほとんどのキャラクターをデザインした中鶴勝祥氏が担当するとのこと。
彼は長年鳥山作品やドラゴンボール作品に携わってきており、鳥山氏自身が最も信頼を置いてるアニメーターの1人なのでそこに関しての心配は無用なのかもしれません。
※正直DBファンで彼を知らない人はDBファンではないと言っていいぐらい彼は有名です。
★ドラゴンボール超★
DB超はアニメが先行して力の大会編で終了するも、その後の漫画版はモロ編に突入し、現在は生残者グラノラ編も完結して新たにスーパーヒーロー編を展開していたりと、DBの世界観は現在進行形で広がっていた。
その莫大に広がるDB世界、物語の大まかな原案を出していたのが鳥山氏だった。
今後の展開も含め莫大なDBワールドを完結に導けるのかどうかは有能な監督や脚本などの制作人に命運がかかっているといっても過言ではないでしょう。
※個人的にはDBZ時代にシリーズ構成を担当し劇場版や多くの回の脚本を書いてきた小山高生氏のような存在がいると安定するのではないかと思っている次第。
★サンドランド★
単行本は1巻のみで2000年に初版が発行された(売上は12000部程度)。
2023年8月、20年越しのアニメ&映画化が決定し上映されるも興行収入は芳しくなく、おおよそ6億弱に留まった。
その興行収入とは対照的に、作品を鑑賞した界隈での評判は良く満足度は高かったもののやはりキャラクターや世界観、作品自体の知名度で多くの層を取り込めなかったのは痛手だった。
そんな劇場版の上映から1年も経たずして発表されたのが今月の20日からディズニー+で配信予定のWEBアニメ版サンドランドの新作。
その新作アニメの為、鳥山氏は新たなキャラクター(天使ムニエル、アン等)をデザインしたりとこちらの作品でも精力的に活動されていたのが伺える。
★ドラゴンクエストⅫ★
発売日は未定ではあったが、こちらも制作中との情報が流れておりキャラクターデザインなども従来通り鳥山氏が担当していたが、どの程度までキャラクターが完成していたのか等ストーリー、世界観含め詳細な情報自体を伺い知ることはできない。ただ、Ⅻ自体は2021年の5月に「選ばれし運命の炎」という名のタイトルが発表されているので、3年前以上前から堀井雄二氏が思い描く世界観や設定、方向性やプロットなどは決まっていたと思われる。絵やキャラに関しての不足部分は(DBD&超の項でも説明した)DB、DR.スランプ、DQなどあらゆる鳥山作品でキャラクターデザイン、表紙絵を描いてきた「鳥山明の影武者」と名高い(?)中鶴勝祥氏が補正も含めて担当するでしょう。ただ彼もキャラクター自体をそっくり、それっぽく描くことことは出来ても見る人から見ればスグに見分けがつくぐらい、デザインセンスには賛否が分かれるかと思います。
※DBGTのスーパーサイヤ人4や邪悪龍、一星龍など
【まとめ】
先生の訃報を受けてから考えがまとまらず、上記の文章でも書き足らないぐらい、鳥山先生(作品)とドラゴンボールに対する思いがあり、この文章を書くのにも数日を要しましたが、綺麗にまとめると以下のような文章になるのだと思います。
鳥山明はキャラクターや画力、一枚絵に特に優れた漫画家なんだと思っています。
言うなればバンドデシネで革命をもたらし、そのジャンルの代表格であったジャンジロー、アールヌーヴォーの革命と象徴であったアルフォンス・ミュシャ、シュールレアリスム運動で名高いサルバトーレ・ダリなど芸術分野で革命が起きる時には常にその時代、分野を代表する作家、芸術家が台頭して歴史に名を刻んできました。
日本のAKIRA TORIYAMAも彼等と同じように自身の作品を世界に轟かせ、MANGAを世界的なエンターテイメント分野のコンテンツとして定着させた功労者であり、唯一無二の画力とセンスで後世の作家からも絶大に支持された偉大なるクリエイターであったのは、言うまでもありません。
そして、彼は葛飾北斎や黒沢明と同じくらい世界の芸術分野に多大なる影響を与えた・・・そんな人物なんじゃないかと私は思ってます。
と、言うことで長文にはなりましたが、鳥山明先生に対する功績を讃える追悼文章はこの記事で一旦、終わらせて頂きます!!
鳥山明先生、ありがとうございました。
ですが、私の心の中で世界の鳥山明は生き続けます!
なので、これからもよろしくお願いします!!
R.I.P AKIRA TORIYAMA